「中川信夫監督生誕100年」によせて

”酒豆忌”24年ぶりのハガキ

 

 坂下 正尚

 

 

今年は、中川信夫監督生誕100年。日露戦争の開戦の年だったのかと思う。

酒と豆腐をこよなく愛された監督に因み「酒豆忌」と名づけられた偲ぶ会。

監督が逝去されて今年で21年目を数えるにも拘らず、出席者はざっと数え
ただけでも
100名以上。老境にさしかかったスタッフそして争々たる俳優陣、
中川映画のファンの方々である。

今もって会に人が集う理由は、師事(昭和46年以来、日活撮影所での仕事は
私がチーフ助監督を給わりました)した私としては、監督のお人柄に尽きる
とも言える。

お茶目で飾らず威張らず、豪放磊落のうえ縁の下のスタッフ一人一人を大切
にするキメの細やかさに、若造だった私たちは素直に心酔させられたものだ
った。

例えば、

『新婚で幸せ一杯の夫婦が川の辺りを仲良く歩いている。その背後に偶然仏壇
が流れているが、二人は気づかない』【怪奇十三夜】

『黒装束で仕事を終えた“ねずみ小僧”たちが長屋に戻り、瞬く間に衣装替え
して夜の町を何事もなかったかのようにそぞろ歩く』【女ねずみ小僧】〜これ
は約
6ページ、数シーンまたぎのワンカットだった〜など今も記憶に新しい。

そうなのだ、監督は私たちスタッフ、キャストを驚かせその気にさせる名人な
のである。


今年、偲ぶ会二次会で我々はまたしても監督にしこたま驚かされてしまった。


24年ぶりに、中川監督が私に宛てたハガキが届いたのだ。


それは、かって監督に師事し後に油彩画家に転じたという寄本祐司氏の個展の
案内状だった。
日活が倒産後、住所が変わった私にハガキは届かず、寄本氏に戻ったのだ。

寄本氏とは全く面識のなかった私だが、氏が大切にしている中川監督のコレク
ションの中から偶然にも見つけだしたものである。

 

そこには、たったひと言

 

「かきやん、ノミタシ」

 

と、あった。

24年ぶりの報せ、誰もがこの日監督が来ていらっしゃることを確信した瞬間
だった。

 

(“かきやん”というのは当時の私の渾名です)

 

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